7月に義母が亡くなり納骨を済ませました。
昨年の7月の終わりに外出先で友達から異変を指摘されて自らその足で病院へ
そのまま緊急入院
病院からの呼び出しで駆けつけると
✅脳幹部の脳梗塞
✅この梗塞は新しいものではないこと
✅動脈硬化が進んでいて治療が難しいこと
✅血圧が高くてそのコントロールが先決であること
などなど医師から説明されました
病状が落ち着いたところでリハビリ病院に転院し約半年間入院して義実家に戻りました。
帰宅して2週間で体調を崩して救急搬送
コロナ禍で救急車を呼んでもなかなか搬送先が決まりませんでした。
この間お世話になっていた病院はどこも満床でした。
結局隣市の病院へ搬送されましたが、すぐに退院しました。
当初、義母は病院への入院ならいいけど施設はイヤと言い張っていました。
どういう経緯なのか退院から3ヶ月で施設に入所することになりました。
今まで病院の呼び出しなどのたびに一緒に行っていた夫に義姉から入所の日程が知らされたのは前日の夜
仕事の都合がつかずに見送りもできませんでした。
入所して1ヶ月で容態急変の知らせ受けて
施設に駆けつけました
面会は2人まで
防護服にフェイスシールド、手袋、マスクを着用して義母の部屋へ向かいました。
義母はすでに意識がなく
夫は呆然と立ち尽くしていたので
夫の手を取り義母の手を握らせました
義母の足が少し動いたので「お義母さん!」と大きめの声で呼んでみましたが目を開くことはありませんでした。
それから1か月もせずに亡くなってしまいました。
私が最後に交わした会話は
「忙しいところ悪いわねぇ」
夫とはどんな会話を交わしたのだろう?
3姉妹の後に生まれた念願の長男である夫を溺愛し
江戸っ子で負けず嫌い
気が強くて頑張り屋
そんな義母があっけなく逝ってしまいました
予想以上に義母と義姉が不仲だったことを亡くなった後に知って、もっとできたことがあったんじゃないかと考え込むこともありました。
納骨の時に義叔父や義叔母から聞いた昔話に「結婚32年ではまだまだ新参者ですね」と思わず出た言葉に笑いが起こりました。
義母とは最期まで心を打ち解けることがなかったのが残念です。
何せ最後まで私のことは苗字で呼んでいましたから…。
春にはまだ死にたくないと言っていた89歳の義母
終活は全くなく
時間がかかりそうな宿題がたくさんあります
娘には宿題を残したくないと強く思いました