カナエルノート

50代のキレイ・楽しいを叶えるヒント

80代父とスマホ

父は新し物好き

スマホが出た時もすごく興味を示したけれど

新たなデバイスに対応できそうもないデジタル音痴

通信手段をできそうもないスマホにする代わりにタブレットを購入した

しばらくはこれで気が紛れていたが

 

2年ほど前、ある日突然スマホに変わっていた

 

父とは4年前位からとあることがきっかけでギクシャクしている

 

私に相談せずに◯コモの窓口の良さげな言葉でガラケーかららくらくスマホに機種変してきた

そして、困った時だけは呼ばれる

 

昨日の朝も

スマホが壊れた』

もう何度その言葉を聞いただろう?

 

見ると確かに何の反応もしない

電源切れてる?

試しに電源ボタンを長押しすると起動した

私の携帯から電話をかけてみるとかかった

 

父の言い分

『何かの弾みで電源が切れたのかな?』

電源は弾みでは切れないと内心思ったが言ってもムダ

 

今回も

「◯コモへ行ってガラケーに機種変してきたら」と勧めた

母も横で頷く

 

私が父にスマホを勧めない理由

✅家電の調子が悪いと叩いて直そうとする

✅電話帳登録ができない

✅カーナビも操作できない

✅とにかくタッチ画面が苦手

 

暇を持て余している父は

困ると◯コモの窓口で相談している

ガラケーに戻したいと言っているはず

だが、手ぶらで帰ってくる

 

昨日の一件で

充電コードの接続が怪しいことがわかった

また◯コモの窓口に見てもらいに行くらしい

私からはガラケーに戻したほうがいいよ重ねて言ったけれど

どうなることやら

 

通信会社としては一度スマホにしたらガラケーには戻させたくないのだろうか?

 

少々プライド高めな父は

「簡単ですよ」

「できますよ」

「皆さんそうしてますよ」

などと言われるとその気になるに違いない

 

スマホにしてから通信手段としても用を足さなくなっているのに、月額の負担だけが重くなっている

どうしたもんじゃろのう〜

 

 

義母のこと

7月に義母が亡くなり納骨を済ませました。

 

昨年の7月の終わりに外出先で友達から異変を指摘されて自らその足で病院へ

そのまま緊急入院

病院からの呼び出しで駆けつけると

✅脳幹部の脳梗塞

✅この梗塞は新しいものではないこと

動脈硬化が進んでいて治療が難しいこと

✅血圧が高くてそのコントロールが先決であること

などなど医師から説明されました

 

病状が落ち着いたところでリハビリ病院に転院し約半年間入院して義実家に戻りました。

帰宅して2週間で体調を崩して救急搬送

コロナ禍で救急車を呼んでもなかなか搬送先が決まりませんでした。

この間お世話になっていた病院はどこも満床でした。

結局隣市の病院へ搬送されましたが、すぐに退院しました。

 

当初、義母は病院への入院ならいいけど施設はイヤと言い張っていました。

どういう経緯なのか退院から3ヶ月で施設に入所することになりました。

今まで病院の呼び出しなどのたびに一緒に行っていた夫に義姉から入所の日程が知らされたのは前日の夜

仕事の都合がつかずに見送りもできませんでした。

 

入所して1ヶ月で容態急変の知らせ受けて

施設に駆けつけました

面会は2人まで

防護服にフェイスシールド、手袋、マスクを着用して義母の部屋へ向かいました。

義母はすでに意識がなく

夫は呆然と立ち尽くしていたので

夫の手を取り義母の手を握らせました

義母の足が少し動いたので「お義母さん!」と大きめの声で呼んでみましたが目を開くことはありませんでした。

 

それから1か月もせずに亡くなってしまいました。

 

私が最後に交わした会話は

「忙しいところ悪いわねぇ」

夫とはどんな会話を交わしたのだろう?

 

3姉妹の後に生まれた念願の長男である夫を溺愛し

江戸っ子で負けず嫌い

気が強くて頑張り屋

そんな義母があっけなく逝ってしまいました

 

予想以上に義母と義姉が不仲だったことを亡くなった後に知って、もっとできたことがあったんじゃないかと考え込むこともありました。

納骨の時に義叔父や義叔母から聞いた昔話に「結婚32年ではまだまだ新参者ですね」と思わず出た言葉に笑いが起こりました。

義母とは最期まで心を打ち解けることがなかったのが残念です。

何せ最後まで私のことは苗字で呼んでいましたから…。

 

春にはまだ死にたくないと言っていた89歳の義母

終活は全くなく

時間がかかりそうな宿題がたくさんあります

 

娘には宿題を残したくないと強く思いました

 

 

 

 

 

 

ムカつくけど夫婦喧嘩にならないわけ

結婚して来月で丸32年

 

ケンカしたことないし

そこそこ仲良し

 

だけど、時々結婚したことを後悔するほどイヤになる時がある

 

昨夜も………

 

それにはパターンがあった

 

4人姉弟で育った夫は

上げ膳据え膳

何もしなくても3人のお姉様達とお義母様がやってくれる

特にこの夏亡くなったお義母様に溺愛されて

「この子を怒ったことはない」と豪語されるほど…だからなーんにもできない人です。

 

それはさておき

私が夫を嫌いになるパターン

私が疲れている

夫も疲れている

お互いにキレやすい狀態からの

超無口な夫がさらに無口になり返事もしなくなり

返事のないことに苛立つことが入口であることが多い

 

お互い、夏の疲れが出てる

お互い、少し相手に言いたいことがあるけど言っても仕方ないから黙ってる

そんな下地もありつつ

コミュニケーションがうまくいかないと

大抵、わたしは心の中でこう思う

「何でこんな人と結婚しちゃったんだろう。

あぁ失敗した。大体、こないだ言ってたアレってどうなったの?嘘つき!」

 

親の夫婦喧嘩をイヤってほど見てきた私はこの言葉を放ってもいい結果にならないのはわかっているので言わない。

そして自分の部屋(元娘の部屋)にすーっと消える。

 

さてさて

言わないだけでムカついた気持ちを抱えたまま眠った私はすっかり悪夢にうなされ

「嘘つき!」という寝言で目が覚めました。

隣で寝ていた夫にも聞こえたはず

自分のことだって分かったかどうから謎

 

熟年夫婦、会話がさらに少なくなる日々が続きそう

そんなかすがいはわんこ達

4匹もいるからお世話を手分けしておこないます

そうこうしているうちにきっとモヤモヤも忘れる

そして最後に折れるのは大抵わたし

仕方ない相手はバカ息子だから

あつかった8月

9月に入って1週間が経ちました。

今年の暑い熱い8月を振り返ります。

 

県内在住のワンオペ育児真っ盛りの娘

孫=男児2歳はプレ幼稚園も夏休みに入り持て余し気味

ということで

ワンオペ育児のウィークdayは実家(我が家)で

パパがいる週末は自宅へ帰る

そんな娘にとってはパラダイスな1か月となりました

 

「暑くて公園はムリだけど、屋上で水遊びをさせたい!!」

希望を聞いて

じいじも汗だくで張り切って屋上にビニールプールをオープンさせました

 

がしかし!

オープンさせて数日で台風襲来

大型ビニールプールは飛ばないように重りをつけておいたにも関わらず

隣家に飛んで行ってしまいました

 

思い返すと今年の夏は天候が不順で雨も多かった

 

屋上での水遊びはほぼできず

家の中でひたすらいたずら三昧の2歳児を追いかけ

お三度に追われ

あっという間に8月が過ぎ去りました

 

夫婦二人だけでしんみりしていたので

かわいい孫とも遊べるし

お疲れ気味の娘も少しのんびりできるし

ちょうどいい・・・

いやいや、のんきな50代夫婦にとっては

かなりハードな1か月でした

 

 

 

 

ぞわぞわする親の行動

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80代になる両親は長いこと家庭内別居をしています。

 

父からは母の悪口を

母からは父の悪口を

ずーーーーっと聞かされて育ちました。

 

家の中がメチャクチャになるほどの

盛大な夫婦喧嘩もしょっちゅうでした。

 

年齢と共に夫婦喧嘩の質は変わりましたが

未だに片方が怒って家を飛び出すような喧嘩をしています。

80歳を超えてもお互いの悪口を言いながら暮らしています。

 

二世帯住宅を建てるときも

父と母の部屋の間に廊下を作るという要望があったので、

ならば、いっそ全てを別々にしたらと言うとそれはスルーされました。

 

お互いを認めあいながら一緒に暮らす

または、別々に暮らす

どちらも選択しないことに狡さを感じています。

 

ほぼ毎日夫婦揃って散歩に出ているので

ご近所から仲のいい夫婦と言っていただくたびに

喧嘩するほど仲がいい〜は両親に限っては当てはまらないと内心思っています。

 

外出先でも相手のアラしか見ていないのに

なぜ悪口を言いながら毎日一緒に出掛けているのか不思議でなりません。

 

夫婦喧嘩で揉める家は安らげる場所ではなくなります。

 

最近の新たに父の問題言動で母が鬱々として部屋に閉じこもるようになりました。

 

有効な対応策もなく

喧嘩はどちらかがなくなるまできっと続くのでしょう

 

そして今日も母は部屋に閉じこもり

父は自分の正当性を外まで聞こえる大声で電話をかけまくっています。

アラ還になった私は子供の頃と変わらず、この状況をぞわぞわしながら耐えるしか術がありません。

 

 

 

ねこやなぎと祖母

 

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数日前に見つけた記事から祖母との不思議な思い出が蘇りました

 

www.543life.com

 

50年・・・半世紀近く前のこと

 

祖母と母と妹と私の4人で福島県宮城県の県境の湯治場に逗留しました。

 

湯治場には、10日か2週間逗留した思います

週に2回、食材の販売カーが来ると祖母と母は食材を買い出しに出るついでに

一緒に行って、外を散策するのが楽しみでした。

 

その時に祖母から「ねこやなぎ」という植物の名前を教えてもらいました。

ネコとヤナギの言葉の響きが楽しくて

何度も「ネコヤナギ~」と無意味に叫んびながら

妹と雪解けでぬかるんだ道を走りました。

 

どういう経緯だったのか

とても不思議なのですが

子連れで湯治をするほど具合が悪かったのが誰なのか

祖母?

母?

小児喘息だった私達姉妹??

全く記憶がありません

 

雪の崖路をバスで進んでいくことの恐怖

なぜここに父がいないのかという不安

いつまでいるのか?という不安

 

後に祖母と母は、その時の湯治の話を楽しい思い出話にしていましたが

私は何か聞いてはいけない大人の事情みたいなものを感じて

結局何も聞けませんでした。

 

ねこやなぎを見たり言葉を聞くたびに

あの横溝正史の映画に出てきそうな

湯治の宿、共同炊事場、黒いお湯の大浴場、雪の崖

断片的な思い出が蘇ります。

 

それにしても不思議な思い出

私の想いと思い出が交錯しているのかもしれません。

母が元気なうちに、機会があったらあの湯治の理由を聞いてみよう。

 

 

私が料理をやめたわけ

最近、夕食は夫がつくっています。

私は手伝う程度です。

 

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一人娘が嫁いだのは4年前

 

当初は娘がいた頃と変わらずに食事の支度をしていました。

 

私の両親との二世帯住宅ですが、完全分離型なので食事は別です。

 

娘が嫁いだ後に、会社員生活にピリオドを打ちました。

一昨年からリモートワークをはじめて

コロナ禍でリモートワークの仕事が忙しくなっています。

 

夫は自営業ですが、

コロナ禍で外勤の時間が短くなって家にいる時間が長くなっています。

 

仕事の忙しさ・・・少しはそれも関係あるかもしれません。

 

一番の理由は夫の偏食

作っても食べるとは限らない

 

 

夫の偏食は昔から

同じ食材でも食べる日と食べない日があります

 

いつの頃からか

夕方、夫がお腹が空くと食べたいものを作る

私も自分の食べたいものを作る

 

私が料理をやめたのは

夕食のおかずが残っていて「お腹いっぱい」と箸を置いた夫が

片づけが終わったとたんにお菓子を食べ始めたことが続いたからかもしれません

余ったおかずは結局残って捨てることが多くなりました

捨てるために作るなんてバカらしい

 

超のつく無口なので本当のことはわかりません

追求するなんて面倒なことはとっくにやめました

ここまでだと冷え切った夫婦のようかもしれませんが

そこそこ仲はいいほうという自負はあります

 

お互いに楽なほうがいい

 

いろいろ言いましたが、

私が料理をやめた本当の理由は、料理がキライだからかもしれません。

 

 

 

 

 

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