町からトイレットペーパーが消えた翌朝
ごみ捨てに出たわたしを母が追いかけて来て
「チリシがないの。どこにもないよ。」と眉間にシワを寄せて訴えてきました。
まずは
「おはようございます」と朝のご挨拶をして、自分の気持ちをセイブします。
「トイレットペーパーのストックあるよね?」と聞いてみました。
返事は無言
続けて母の質問が続きます。
「あなたは買ったの?」
「あなたは知っていたの?」
母が言いたかったのは
町からトイレットペーパーが消えるらしい噂を前もって知っていたかどうかと言うこと
知っていたならなんで教えてくれなかったのか
この2点で家にストックがあるのか?困っていないか?
というわたしの質問はスルー
その後、数日後に近所のお店で買えたこと
そのお店の人に優しく格別な取り計らいをしていただいたことを嬉しそうに語っていました。
結局
トイレットペーパーやティッシュがなくて困っていたのかどうかはわからずじまい。
品物が不足して不安な気持ちをぶつけたかっただけだったのかもしれません。
そもそもモノに執着のない母は備蓄の感覚がなく、クローゼットも冷蔵庫もいつもガラガラです。
戦争やオイルショックを経験している世代は、母だけでなくモノがなくなることに過敏なのかもしれないと思いました。
本心は、「チリシ」というワードが出た途端に茶化して笑いたかった。
けれど、ここでそんな指摘をしたら倍返しどころでは済まない。
だからグッと我慢しました。
「チリシ」って日本語、令和の世の中で通用するのかな?
そして、本当はストックあったんじゃないかと内心疑っています。
言えないけれど・・・・。